海の彼方の
  ニッポンを訪ねて
  • ■私たちは英霊顕彰を柱とする民間交流の拡大と深化によって、世界一の親日国・台湾との国交回復を図るとともにわが国・日本を世界に冠たる道義国家として再建することを目的に活動しています。
  • ■平成11年に開始された台湾慰霊訪問の旅も早いもので、今秋で18回目を迎えます。この間、台湾の皆様には心暖まる歓迎をしていただき、誠の家族交流・兄弟交流を深めることができました。
  • ■そこでこの度、訪問団の報告を中心にその足跡をまとめ、団員の声として参加者の感想文を集大成しましたので、公開させていただきました。本来ならば参加者全員の感想発表を掲出させていただくところですが、とりあえず事務局で厳選させていただきましたことをご容赦願います。
  • ■ご覧になる場合は上記の項目をクリックしていただければ目的のメッセージに到達いたします。この情報をご参考に台湾慰霊訪問の旅にご参加いただければ幸甚の極みです。

慰霊訪問団スライド
「第13次台湾慰霊訪問の旅」をご覧いただくにあたり
 私たちは、①大東亜戦争で散華された台湾同胞のご英霊三万三千余柱の顕彰と ②台湾の皆様方との家族交流・兄弟交流を主な目的として、去る平成23年11月22日(火)から26日(土)までの5日間、「第13次日華(台)親善友好慰霊訪問の旅」を実行致しました。計画から実行に至るまで全て皆様に支えられての一年でした。厚く御礼申し上げます。
 お陰様で、今次も所期の目的を達成し無事帰国することができました。今回、そのご報告をスライドにてさせていただきます。

表示の定義 ① 〔慰霊式/国旗敬礼・国歌斉唱から入る。 献花式/黙祷から入る。 慰霊祭/主催団体に従う。〕 ② 〔主催/会費制もしくはそれに順ずる形。 招待/左記以外。〕

平成23年(2011)11月22日(火)/第13次台湾慰霊訪問の旅第1日目
①大東亜戦争で散華された台湾同胞のご英霊三万三千余柱の顕彰について
 烏来:高砂義勇隊戦没英霊記念碑6回目〔慰霊式38人(但し、A班)〕
 台北:林森公園初回

②台湾の皆様方との家族交流・兄弟交流について
 台北:中華民國外交部(黄明朗秘書長)表敬訪問〔38人(但し、A班)〕5回目
 台北:台日文化經濟協會(鄭祺耀會長)主催の晩餐会/海覇王餐廳〔38人〕6回目
〈BGM〉
雨夜花[昭和5年(1930)]
興亜行進曲[昭和15年(1940)]
台湾軍の歌[昭和16年(1941)]
北支派遣軍の歌[昭和14年(1939)]

平成23年(2011)11月23日(水)/第13次台湾慰霊訪問の旅第2日目
①大東亜戦争で散華された台湾同胞のご英霊三万三千余柱の顕彰について
 台南:飛虎将軍廟13回目〔慰霊式38人〕
 屏東:東龍宮初回〔慰霊式38人〕

②台湾の皆様方との家族交流・兄弟交流について
 台南:許文龍会長による招待午餐会/奇美博物館〔38人〕8回目
 高雄:黄明山・葉美麗ご夫妻による招待晩餐会/海慶澎湖海産〔38人〕4回目
〈BGM〉
勇敢なる水兵[明治28年(1895)]
加藤隼戦闘隊[昭和15年(1940)]
太平洋行進曲[昭和14年(1939)]
ラバウル海軍航空隊[昭和19年(1944)]

平成23年(2011)11月24日(木)/第13次台湾慰霊訪問の旅第3日目
①大東亜戦争で散華された台湾同胞のご英霊三万三千余柱の顕彰について
 高雄:保安堂7回目〔慰霊式38人〕
 台南:烏山頭ダム9回目~八田與一・外代樹ご夫妻墓所9回目〔慰霊式38人〕~
     殉工碑3回目〔献花式14人(但し、有志)〕~八田與一記念館7回目
     八田與一記念公園初回

②台湾の皆様方との家族交流・兄弟交流について
 台中:台中市政府(蔡炳坤副市長)表敬訪問〔45人(但し、B班合流)〕初回
 台中:台灣台日海交會(簡朝陽會長)主催の晩餐会/香蕉新樂園餐廳〔45人+
     現地参加2人(鷲頭五月氏、林武璋氏)〕8回目
〈BGM〉
敵は幾万[明治24年(1891)]
軍艦行進曲[明治43年(1910)]
歩兵の本領[明治34年(1901)]
日本海海戦[大正3年(1914)]
月月火水木金金[昭和15年(1940)]

平成23年(2011)11月25日(金)/第13次台湾慰霊訪問の旅第4日目
①大東亜戦争で散華された台湾同胞のご英霊三万三千余柱の顕彰について
 台中:宝覚寺13回目~日本人墓地(日本人遺骨安置所)13回目〔慰霊式45人
     (但し、B班合流)+現地参加1人(鷲頭五月氏)+日本人観光客71人)~
     原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者慰霊碑(霊安故郷)13回目
     〔慰霊祭45人+現地参加2人(鷲頭五月氏、天江喜久氏)〕
 新竹:濟化宮(台湾の靖國神社)6回目〔献花式45人+現地参加2人
     (鷲頭五月氏、天江喜久氏)〕

②台湾の皆様方との家族交流・兄弟交流について
 台中:台湾中日海交協会(胡順來会長)主催の午餐会/大北京餐廳
     〔45人+現地参加2人(鷲頭五月氏、天江喜久氏)〕13回目
〈BGM〉
日本陸軍[明治37年(1904)]
出征兵士を送る歌[昭和14年(1939)]
同期の桜[昭和13年(1938)]
暁に祈る[昭和15年(1940)]

平成23年(2011)11月26日(土)/第13次台湾慰霊訪問の旅第5日目
①大東亜戦争で散華された台湾同胞のご英霊三万三千余柱の顕彰について
 台北:明石元二郎台湾総督墓所3回目〔慰霊式45人〕
 台北:芝山公園「六士先生の墓」6回目〔慰霊式45人〕
〈BGM〉
軍人勅諭の歌[明治34年(1901)]
凱旋[明治25年(1892)]
元寇[明治25年(1892)]

「第13次台湾慰霊訪問の旅」をご覧いただいた方へ
 4泊5日の訪問でしたが、英霊顕彰の行事斎行のみならず、現地の皆様と親密な交流を重ねることを通して、民情を把握し台湾の歴史や文化を直接学びながら親善友好を深めることができました。
 特に今回は東日本大震災復興支援に対して日本国民として謝意を述べると共に、中華民國建国100年を慶祝するという二重の任務を背負っての旅でしたので、様々な創意を凝らしたものに致しました。以下にその工夫点を列記させていただきます。
祭文

領台時代の肯定と大東亜戦争を共に戦った誇りこそが世界一のご支援の淵源

※祭文は慰霊団の命です。慰霊祭において台湾人ご英霊の皆様に厚く御礼を申し上げました。
至宝

小柳陽太郎氏(第3次)、森晴治氏(第5・6次)、谷尾侃氏(第11次)、日高誠氏・松俵義博氏(第12次)に続く谷尾・日高・松俵三氏の顧問ご就任

※大東亜戦争体験者は慰霊団と日台両国の宝です。
体制

副団長3人、班長・副班長各6人によるライン構築と通訳・医師・僧侶・記者・撮影他の専門職によるスタッフ委嘱は団員の協力で今回も成功

※規律溢れる目的団体のみならず、専門家集団を目指しました。
期間

旅程における4泊5日コースと2泊3日コースの2本立て企画の定着

※第9次までは3泊4日のみで第10次からA班4泊5日とそれ以外のB班の2本立てとしました。なおB班の歴史は第10・11次が3泊4日、第12・13次が2泊3日です。
周知

台湾全土(490名)に及ぶ旅程・訪問先の事前告知

※「一人よがりの旅」に陥ることなく「先方のご都合に配慮した旅」を目指しています。
財政

松俵義博氏他による協賛金ご寄贈

※産經新聞による慰霊団の通年告知(全5段12回)が獲得した認知度は計り知れません。またライセンスメイトによる集大成作業にも財源が不可欠です。恒産なくして恒心なし。
意識

団員全員に当事者意識をもっていただくために作られた「名刺」と「旅のしおり」そして配布された日台交流バッジ

※組織の内部には1人もゲストを抱えず、全員メンバーになってもらいました。
外交

台北駐福岡經濟文化辧事處(曽念祖處長)を介しての外交部、台中市政府への表敬訪問、台日文化經濟協會との交流

※日本国の代表という意識で取り組みました。
明示

東日本大震災復興支援感謝の表明で次の3点ツールを考案

イ、横断幕(「慶祝中華民國建國100年」も併記)
ロ、記念手拭い500本
ハ、車窓張付用ステッカー(バスで活用)
※いかに貴い行為でも堂々と露出していかないと後続も生れず、周囲も分かりません。
認知

宝覚寺の日本人墓地における慰霊式と原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者慰霊碑(霊安故郷)における慰霊祭を現地・台湾で予告する試みは台中市政府表敬訪問により成就

※すべては現地の行政の長にご挨拶に伺うのが筋ですが、3年越しに成就しました。そして宝覚寺での慰霊式・慰霊祭は市政府の公式ブログでしっかりと告示されました。
告示

宝覚寺入口に掲出した案内表示板により、日本人墓地での慰霊式への日本人観光客の参列者が確実に増加

※高い旅費をかけて外国まで行ってこの案内を思いつかなかった第12次までが悔まれます。
報道

第11次に続き産經新聞記者(頼永博朗氏)による同行取材と報道協力

※権威ある紙媒体(全国紙他)やテレビなどのマスメディアで生前の偉業を正しく紹介されることほどご英霊や故人にとっての供養はありません。なお今回の分は平成23年12月14日(水)・15日(木)・16日(金)・21日(水)・22日(木)の産經新聞の九州・山口版に連載記事の形で掲載されることになりました。
記録

第12次に続き日本人撮影スタッフ(又丸斉次氏)による全旅程の映像化(第8~11次は 現地の台湾人スタッフに依頼)で将来(歴史)の要請に応えられる素材を準備

※すべては「備えあれば憂いなし」です。
 平成11年3月に3泊4日の社員旅行で行った台湾、同じ年の11月に娘と2人で参列した慰霊祭、その時から早や13年の歳月が流れましたが、回を重ねれば重ねるほど、毎年決まった時期に決まった場所に同じ目的をもって恥ずかしくない陣容で訪問を続けることの難しさと大切さをひしひしと感じます。
 かけがえのない人生〔の一期間〕を訪問団と共にして下さいました皆様のお陰をもちまして、この活動も点から線、そして面の広がりを持つに至りました。今では台湾の皆様にすっかり信頼され、各地でお互いに連絡を取りあうまでになりました。現地では手に手にお土産をかかえて、私たちとの交流を一年かけて待って下さる方がとめどなく増えていっております。50年間に及ぶ日本統治が半世紀以上経た今日に至るまで脈々と生き続ける台湾、この「生命の絆」を守り育て後に続く者に継承していくことが、先達から託された私たち世代の崇高な使命ではないかと思います。
 加えて私たちは今回を含む13年に及ぶ訪問で体得した貴重な経験を今後の両国の関係強化に役立てると共に、「日台国交回復」の国民的うねりの構築を通して台湾を防衛し、東アジアの平和と安定に寄与してゆきたいと思っております。